秋月街道
① 松崎駅ー秋月
(14.8km):秋月街道を行く



 小郡駅から甘木鉄道で松崎駅へ。この鉄道では甘木駅以外では切符も売られておらず、電子マネーは使えません。現金のみ。


 旅籠油屋(はたごあぶらや)。本陣・脇本陣に次ぐ格のお宿です。内部の見学はできますが、日・祝は休館なので注意が必要です。開館前の時間だったので通過。
 江戸時代初期の1668年、有馬豊範(のち豊祐)が松崎藩を与えられ、参勤交代の道路として松崎街道を作りました。この街道は薩摩街道の一部で、秋月街道の一部でもあります。なお、松崎城(松崎館)跡は松崎駅の南500mで現在は三井高校の敷地になっています(後から知ったので立ち寄ってません)。


 1359年の「筑後川の戦い」では、懐良親王を擁する菊池武光(南軍)が4万の兵で久留米・高良山に陣を敷き、少弐頼尚は筑後川の北・味坂に陣取り6万人を動員しました。8月7日の激戦で、南軍が辛うじて勝利を挙げ、少弐軍は敗走します。傷ついた武光が己の太刀についた血糊を小川で洗ったのが、大刀洗の地名の由来です。この先に大刀洗公園があり、菊池武光公の銅像があります。



 1919年、東洋一の飛行場、大刀洗陸軍飛行場が完成しました。九州北部で中国大陸への中継基地としての利便の良さ、広大な平地、内陸で艦砲射撃を受けないというメリットで発展し、日本最大の航空基地となり、民間機も就航していました。現在、飛行場の面影はまったくありませんが、ここ大刀洗平和記念館には、九七式戦闘機をはじめ、珍しい展示物がたくさんあります。ここも何度かきたので、玄関だけ撮影して通過。


 単調な農道を進むのはなかなかツライです。通行量は少ないものの、自動車がくるとそれなりにストレスです💦


 大己貴神社(おおなむちじんじゃ)。地元では「オンガサマ」と呼ばれているそうです。神功皇后が新羅との戦にあたり兵が集まりにくかったため、社を建て祈願したのが由来とのこと。わが国で最も古い神社とされています。


 「山が削られてる!!」と見えるのは錯覚で、山の手前に砕石場があるのです。福岡証券取引所に上場しているサイタ・ホールディングス(昔は才田組でした)傘下の才田砕石工業ですね。


 よくある風景ですが、山の木々の色あいが、疲れているとき心を癒してくれるのです。


 下渕老松(おいまつ)神社。大絵馬が素敵です。

 電子マネーのお賽銭。私、初めて見ました。拝観料の電子マネー化は2007年に安倍文殊院(奈良県桜井市)が初めて導入し、2014年には東京都港区の愛宕神社が賽銭での電子マネーを実験的に導入したそうです。本格的には飛騨護国神社(岐阜県高山市)境内にある黄金神社が2019年に始めたのが最初でしょうか。
 ここ老松神社を検索してみて、電子御朱印(スマート御朱印)の存在を知りました。寺社側の多くは公認しておらず、こうしたWEBサイトの「利用を避けるようお勧めします」と意見表明する神社もありますが、東海地区を中心に正式に参加するところも増えているようです。


 小石原川に沿って上っています。黒い鳥はなんだろう? カワウは大きな群れを作るといいます。クロサギは海の岩場に生息するので違う。青鷺ってのはもっと白いんじゃないかな・・・。ってことでお手上げです🤣


 秋月の名所、眼鏡橋。


 秋月の名物料理、蒸し雑煮。武家での料理だったようです。お店によってかなり違いがありそうです。これは池田屋さんのもの。


 秋月城で、壮大な雛飾りが展示されています。ちょっと怖い(笑)


 黒門。桜や紅葉の季節には秋月城はかなり混むと思いますが、普通の土日でも、それなりに混雑しています。


 ここで、ジェンナーより早かったことが強調されていますが、人痘法は古くは紀元前1世紀のインドや宋代の中国で実施されています。緒方春朔の功績はむしろ、漢文で書かれていた医学書を和文で書き、医学的知識を秘伝とせずに多くの人々に惜しみなく学ばせたことにあるようです。ジェンナーの種痘法(牛痘を利用したもの)も、技術的に安定するまでには時間がかかったようですから、知識の共有がいかに重要か、考えさせられます。


 秋月の街並みを少しぶらぶらしたあと、甘木観光路線バスで20分くらいかけて甘木駅まで戻ります。

この日のコース



........②秋月ー田川後藤寺駅
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